ハリコイズム 弐

受け継いだもの


ブルーノ・タウト(Bruno Julius Florian Taut、1880年5月4日-1938年12月24日)氏は、ドイツの東プロイセン・ケーニヒスベルク生まれの建築家、都市計画家[1]。鉄のモニュメント(1910年)、ガラスの家(1914年)が評価され、表現主義の建築家として知られる。
タウト先生~水原先生から受け継いだものの一つに、「模倣をしない」が有りました、
これについては、タウト先生の著書の中でも強く非難しています。
「日本美の再発見」に桂離宮を「芸術の美はたんなる形の美ではなくて、その背後に無限の思想と精神のつながりとの存することを感得するのである」と絶賛し、一方日光東照宮を「装飾―それもおおむね仏教的な装飾を持って建築の欠如をおぎなおうとするところに、・・・・」と記しています。

高崎だるまと易・不易


[高崎だるまに自ら筆を入れる]
私の生業である「高崎ダルマ」は約300年の歴史を持ち、民芸品・縁起物として、生産数・歴史・デザインなどの面から見ても、日本有数の商品と云っても過言ではないでしょうか。
しかし、日本の生活環境が畳からフローリングへ、ブラウン管テレビから薄型テレビへ代り、神棚もなくなり、達磨の飾り場もなくなってきています。
「易不易(変えられるものと変えられないもの)」という言葉が有り、変えるべきと変えない処は張り子では何か?私は「高崎ダルマ」の受け継ぐ伝統「不易」は、「縁起物」と「張子の技術」だと思っています。人の悩みは生きている限り消え去ることは有りません、その多種多様な悩みを解決するように「縁起物」を購入し、祈願をすることで不安を和らげています。
高崎達磨には顔の両脇に祈願文が書いてあり、通常は商売繁盛と家内安全、他に合格祈願・大願成就・当選祈願などすべての願いを書くことができます。それによってすべての願いはダルマでカバーできる、これは作り手のエゴではないだろうか?とも思うのです。

笑顔をつくるというバックボーン


[はりこーシカ®️シリーズは新しい時代にもマッチする縁起物として開発された]
今の住空間にダルマが合うと思う、女性は多いでしょうか?
もっとかわいい、見てホッとする、思わず手に取ってみたい縁起物が有って良いじゃないか、それが私どもの出発の原点です。
そして、「高崎ダルマ」からの受け継いだ2つと、タウト・水原両先生から精神的に継承した事の融合を持って、現在も試行錯誤して商品開発をしています。
張子の縁起物として、過度な装飾(彩色)に逃げなくても良い形、張子らしく柔らかいけど研ぎ澄まされた形、そしてそれに合った彩色をすることは「笑顔をつくる」と云うバックボーンから来ています。

購入してくださるお客様、うちの商品を数ある中から選択して販売してくださる販売店さん、そして我々企画や製作の工員それぞれが「笑顔を作る」ことが目標です。その笑顔を作るための姿勢として

1 「模倣」をしない、あくまでもオリジナルデザインに拘り、マネは厳禁。

2 手作り・手描きを前提として作れる商品、達磨のひげのシールは情けない限り。

3 その地方に合った縁起物の提案、関東では縁起物の一つがダルマですが。

4 張り子らしさを表現した商品、陶器、ガラスとは異なる魅力とは。

もう一つバックボーンとしていることがあります。
水原先生が目標とし、交流されていた諸先輩に「柳宗悦」先生提唱の民藝運動の中心芸術家の一人に河井寛次郎先生が居ます。
その先生が説かれた中から、私が大事にしている言葉。

[すべてのものは 自分の表現]

[もの買って来る 自分買って来る]

[美を追わない仕事]
[仕事の後から追って来る美]

[道を歩かない人]
[歩いたあとが道になる人]

出展:河井寛次郎語録 「いのちの窓」から

これらの言葉を噛み締めながら、日々歩んでいます。

中田 保